桜門技術士会設立20周年記念誌 祝辞
目次へ戻る
桜門技術士会設立20周年を迎えて
 本年6月をもって本会は目出度く設立20周年を迎えることになりました。皆様とともに心からお祝いしたく存じます。また、初代会長以下歴代の役員及び会員各位、また本会をご支援頂いた日本大学そして日本技術士会の各位にも厚く御礼申し上げます。

 本学出身の石塚貢氏(理工学部機械工学科昭和34年卒)が、1990年、当時の科学技術庁・事務次官に就任され、その祝賀会が1991年4月に開催されました。それを機に本会設立の機運が高まり、故梶谷正孝氏(梶谷エンジニアリング社長・技術士)が中心になって準備を進め、名称を「桜門技術士会」と称し、1992年6月30日(平成4年)、日本大学本部大講堂において設立総会を開催してスタートしました。

 当日は、本学総長木下茂、関係各学部長、石塚事務次官、日本技術士会会長上田稔他多数の来賓の方々にもご出席いただきました。理事各位が選任され、初代会長には梶谷正孝氏が就任し、副会長4人、事務局は会長の会社内に設置して運営されることになりました。私も理事の一人として当初より参画し現在に至っています。
 梶谷会長は1996年(平成8年)春の叙勲を機に会長を辞し、私に後を引き受けてほしいとの意向を示されました。副会長の中から最適任者をと固く辞しましたが、同年6月の総会で不肖私が会長に選任され、事務局と合わせて引き継ぎました。
 私は1961年(昭和36年)に技術士の資格を取得し、この資格のもと、コンサルタント業に就きその恩恵を受ける者、当然の義務と考えすぐ日本技術士会にも入会し、また2003年6月には当会の会長にも選任され2年間勤めました。
 早い時期に会長を次に引き継がねばと考えつつも、事務局の負担を無くさなければ受け手がありません。丁度同時期に桜門工業クラブも、事務局を大学内にとの強い要望をもっており、私が理事長を勤めていました。この両会がともに学内に事務局を設置できれば、大学と連携が良くなり、双方にとってより多くのメリットが生まれると考え、当時の小島勝衛理工学部長にお願いしました。正式にお願いした数年ののち、越智光昭理工学部長の時代の2008年(平成20年)4月理工学部5号館1階に桜門工業クラブと共同で設置することができ現在に至っています。これで両会の会長・理事長とも次にバトンを譲る条件が整い、同年の6年の総会で山口豊氏に会長を移譲し今日に至っています。

 昨年の3月11日突然に発生した東日本大震災は未曽有の大災害の爪痕を残しました。特に人災的な要因も加わった、原子力発電所の爆発事故は、放射線を広域に拡散させ、取り返しのつかない大災害になりました。すでに1年が過ぎ、いまだ先が見えない被災者の生活は、想像を絶する状況にあります。1日も早い復興への道筋が定まり、少しでも明るい光が見えることを切に願っています。
 今回の大災害、特に原発の事故は科学技術者に対する風当たりは強く、社会的信頼を大きく喪失してしまいました。われわれ科学技術者、特に技術士はいかにあるべきかを考え、また技術者倫理を再確認して社会的信頼を回復し、国民の安全と幸せ、地球環境の保全のために、再構築して前進する責務があります。
 桜門技術士会も20周年を機に、会員数を増加させ、母校の発展は当然のこと、日本技術士会、各大学の技術士会の発展にも寄与し、社会に貢献する技術士の会により成長することを祈念して、お祝いの挨拶とします。
ページトップへ戻る
-- 桜門技術士会 https://www.oumon.com/ --