桜門技術士会各部会長挨拶
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温故知新、設立20周年に想う
桜門技術士会副会長・企画部会長  須藤 誠
 桜門技術士会会員の皆様、ご後援者の皆様、設立20周年記念、大変おめでとうございます。

 諸先輩方の叱咤激励とご支援を受けつつ、曲がりなりにも多年に亘り理事の重責を努めさせて頂きました。温故知新、設立当時を振り返ってみます。

 思い起こせば20余年前、本学機械出身のOB石塚貢様の科学技術庁事務次官就任祝賀会が盛大に経団連の大広間で開催されました。その折、出席しました多くの先輩たちの間から、「この慶事を期に本学OBによる技術士の集団を結成し、わが国科学技術の発展の一翼を担い、本学関係学部の発展のために貢献し、OBの研鑽を図ったらどうだろうか」と言ったような主旨の会話がなされました。何しろ私学出身者が始めて官僚の最高峰に立った訳ですから、ましてや当時、技術士制度を所轄する科学技術庁であったものですから、そのインパクトたるや大変なものでした。このことが、桜門技術士会の設立への切っ掛けになった訳です。その後度々、市ヶ谷の私学会館において発足に向けての企画会議が開催されました。このことが昨日のように思い出されます。
 本会の発足に当たっては、工科校友会長(現、理工学部校友会)を歴任されました梶谷正孝様が初代会長に就任され、石塚貢先生などが顧問に迎えられました。本会発足後は、宮が瀬ダム、海洋科学技術センター、日大総合情報センター、山梨リニア実験線などなど、毎年の見学会と講演会の企画や会報への投稿など、当時の森元企画部会長の下で従事してまいりました。その内容につきましては心許無き企画があったと思いますが、継続は力なり、に甘んじてどうやら乗り切ることができました。

 その後12年間に亘り強力に会をリードなされた2代目の清野茂次会長(元日本技術士会会長)の下では、「ヘッジファンド世紀末の妖怪」や「デジタル家電の将来」などを始めとする講演会の企画と投稿に力を入れました。一方、会の運営方針として、清野会長の桜門工業クラブ理事長就任を機に、事業運営の相乗効果と倹約を狙い、桜門工業クラブと桜門技術士会とは、硬く姉妹関係が築かれることになりました。

 それを引き継ぐ形で3代目に就任された山口豊会長下では、41巻続いた会報をデジタル版に換えウエブ上の広報活動に、講演会をフォーラム形式に変え、また技術士試験に向けての定期指導など新しい方向性を持って歩んでおります。

 本会は『会員の知見と社会的地位の向上並びに日本大学及び日本技術士会の発展に寄与する・・・』と言った御旗の下に結集した会員の方々の、縦の絆と横の絆に織り成された技術社会の縮図であり、その使命達成のためには、より一層の組織の強化と活発化が望まれます。しかし、かつて450名前後で推移していた会員数も、近年では250名弱と半分近くにも縮小してしまいました。このようなジリ貧状態のからの脱却が大きな課題であります。それには、相互互助の精神に下づく魅力ある組織づくり、魅力ある事業活動、魅力ある親睦と知見交流の場の提供、など会員の皆様とともに磐石な基礎造り向け邁進し、後輩に伝承して参りたいと考えております。

 正に東日本大震災の復興に向けて、各部門の技術士の真価が問われる時代にあって、桜門技術士会の会員であることが卒業生のステイタスとなるようなそして社会に大きく貢献できる技術者集団のシンボルとなることを願って止みません。次なる30、50周年記念へ向けた、新たな旅立ちに際し祈念いたします。
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