桜門技術士会設立20周年記念誌
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編集後記
桜門技術士会事務局長  関 貴司
 スクラップ的記述にて、以下に失礼致します。

 お蔭様で、私は最近、本業としていた鋼構造物に関する実務従事の時間が増えて、生業たる幹の一つとして原点復帰させ認識出来るようになって参りました。これについては、是非、「もしや、逆戻りか・・・?逆巻きか・・・?」或いは返咲きか・・・?といった現象の一環と云えよう事象で在ってほしくないと思っております。こんなこと、うわ言の様に呟きながら日々生活を送れる様になったのは、つい最近の事実なのですけれども、想えば・・・、私が良い友と良き先輩方に恵まれるチャンスが多々あったからこそなのだと考えます。恐らく、この様なことが一切無く訪れず、叶うこともなかったのなら、今在って、過ごす様子は全く別の事象:象限へとスワップしていて、全く別の自分が在っただろう・・・、そんな考え方も出来ると思います。
 また、「有難うごいます。」と素直に微笑みながら云えるようでいられる有難さが全身に染み渡るのを感ぜられるようなりました。これは、「事実は小説より奇なり」の件に出来得る私の一体験なのかもしれません。
 私は、技術士というライセンスの存在と技術士という実エンジニアの存在を過去に同時に感知しました。思い起こせば、もう25年程昔のことです。その時の私は、我が母校において卒業までのカウントダウンに入っており就職活動の最中にありました。就職担当でおられた恩師からの偶々のサジェスチョンから、予期できる不確定的出来事として、突然遭遇するかたちでその後にお世話になる新日鐵直系会社の取締役員とのMan to man のかたちの面接がそれに当たるものでした。この時、役員は、
「君は設計が好きか? 設計がしたいか?」
「俺は設計が好きだ。」「・・・、どうだ?」
 この様な口調で、端的にぶっきら棒に、私に語り掛けて下さいましたが、役員の二つの瞳は大きく澄んで見開かれていて、私へ言葉以上にその眼が訴え掛けている様にも感ぜられました。この瞳は、子供の様に澄んでいて眼力を持ったものであり印象的でした。一体どの様なヒトなのだろう?そう思わずにいられませんでしたが、同時に、この方は「設計というモノ」が本当に好きな方なのだろう・・・、そんな気持ちがしました。 「はい。私は実務のことが分かりませんが、設計を覚えたいです。。。」私は、こんなレスポンスしか出来なかった記憶があります。
「あはは・・・。俺が教えてやる。」「いいか。分かったな・・・?」
 こんなシチュエーションをもって、私は技術士と出会って、認知するようになってゆき、或いは憧れという想いが自分の中で始まったのだろうと思います。この役員の言葉通りに、私は随分、直接レクチャーを受けたりしながら、多角的に「モノづくり」に関する感性について組織の中で学ばせて頂くきました。当然、先輩に、同期にそして客先にも恵まれたことは云うに及びません。この様子が私の技術士に関するアプローチについてのプロローグになったのです。
 そういえば、設計に際するときの役員の口癖は、この様なものでした。
「設計って、面白いだろう・・・??」
「当り計算出来たなら、画(図面)を大きく描いて、壁等に張って、毎日、始終長いこと(客観的に)眺めるんだ。構造物のかたちを観るんだな。」「ヒトの眼の持つバランス感覚(視覚)は素晴らしいんだ。おかしいところが見えてくる。即ち、追うカタチについて、納得するまでチェックする訳だ。」
「ちゃんと計算できているならば、画に破綻する所など視られない。。。いいか?」
 こんな様子で語る役員の口元は、いつも微笑んで愉しそうでした。この様な笑みを湛えた役員を社内の他の場所、或いは職務中に私は殆ど目にすることはありませんでしたから、私は設計事に関して役員と接するときが愉しく思えるのでした。今でも、この時のことを時折思い出して懐かしく思えます。とても良い出会いをさせて頂いたと感謝するばかりです。

 私は既に半生を過ごしてしまいましたが、これについては今、嬉しくも悲しくもあります。恐らく、私はまだ雑念ばかりが沸くひよっ子だからなのでしょう。けれども出来るならば、後継者育成について励んでいきたいと考えております。
 生産工学部の非常勤講師を勤めさせて頂く様になってお蔭様で6年が過ぎました。私の場合はどうやら発展途上にある様であって申し訳なくおもうことがあるのですが、まだまだ遣らせて頂きたく考えております。 工学については、体系or大系として取り扱うようにして成り立たせるべきモノと考えます。また、憧れることから入る大切さ、或いは敷居の高さについては在った方が良いとか、残したいとか等の付加要素(エッセンス)を存在させる大切さ或いは重要性があろうと思えてなりません。これらを工学大系へ旨く組み揉んでみたいと考えます。
 この様なことは個人的志向であり全く私的事情であるのですが、私の日大入試に関する真の動機(単純動機)については、当時の母校で木村先生がストーク号の開発をされておられ、ここへ近付きたかったからであり、技術士へ挑んだ経緯については、上述した様にして、初めて出逢った技術士たる会社役員のエンジニアリングに関する純粋無垢な様、広い工学視野による探求鍛錬姿勢の様について感銘を受けて、仲間入りさせて頂きたいと思ったことが祖であって他ならないからなのです。そして、この様な思いから得た実体験が素敵であったと思えてならないからなのです。

 徒然に勝手なことを編集後記として記させて頂きまして恐縮致します。
 最後になってしまいましたが、この紙面をお借り致しまして、桜門技術士会が創立20周年を迎え、この様にして記念誌を発行させて頂けることに際し、また、記念式典が執り行われることに対して、桜門技術士会理事の方々、日本大学総長を始め学内外の皆様からの甚大なるご支援とご協力を頂戴致しましたことに感謝の意を表したく存じます。有難うございました。
 また、この様にして電子書籍を発刊するに当たり、LLP二驥工房の野戸様から献身的協力を頂いたことについてお礼を申し上げます。
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